みどりの中からひろしまを発信するまち
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二葉の里地区まちづくりとは

二葉の里地区は、広島駅新幹線口の北側に隣接し、中国地方最大規模の未利用等国有地を擁しています。高い開発ポテンシャルを持つ都心部に残された最後の一等地と言われ、広島はもとより、広域ブロックの発展を牽引する未来創造拠点として、その開発には早くから大きな関心と熱い思いが寄せられている地区です。二葉の里土地区画整理事業(13.8ha)による基盤整備と広域交通結節点としての機能強化とともに、広島の陸の玄関にふさわしい賑わいと歴史を大切にしたまちづくりを進めています。

広島駅新幹線口エリアマネジメント推進調整会議とは

財務省中国財務局、広島県、広島市及び西日本旅客鉄道株式会社で構成する「二葉の里地区まちづくり推進協議会」が平成20年(2008年)3月26日に策定・公表した「二葉の里地区まちづくり基本計画」を実現するため、二葉の里土地区画整理事業の施行者である独立行政法人都市再生機構とともに、本事業区域内のまちづくりに関して、エリアマネジメント活動の推進を行うことを目的に、5者の実務担当者を構成員として設置したものです。(エリアマネジメントとは、二葉の里地区まちづくり基本計画、広島駅新幹線口周辺地区地区計画、本事業の土地利用計画等を実現するため、土地の有効利用に資するまちづくりの推進に必要な活動のことをいいます。)

位置図・周辺状況図

位置図

位置図

二葉の里地区及び周辺図

二葉の里地区及び周辺図

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二葉の里地区の歴史

二葉の里地区の変遷

天正19(1591)年に広島城が築城され、その後二葉山の麓には、毛利輝元による妙寿寺や、第2代藩主である浅野光晃(みつあきら) による広島東照宮など、多くの寺社・仏閣が建立されています。

二葉山が広島城の鬼門に位置することより、明星院が祈祷寺と位置付けられたり、また同じく二葉山の麓に位置する鶴羽根神社が広島東部の総氏神として広く崇敬されるなど、広島城や地域と密接に係りながら歴史が育まれてきた地域です。

明治中期以降は二葉の里地区を含めた広い範囲に、東練兵場や騎兵第五連隊等軍施設が置かれていましたが、昭和20年に終戦を迎え、その後は国鉄の事務所や鉄道病院、官舎などの関連施設として利用されてきました。二葉の里地区の東側は戦後区画整理により基盤が整備され、昭和50年代以降市街化が進んでいます。

天明年間の広島城下絵図(1785年頃)

天明年間の広島城下絵図(1785年頃)
〔出典:新修広島市史 第五巻〕

二葉の里歴史の散歩道

二葉の里歴史の散歩道は、国宝不動院金堂(東区牛田新町三丁目)から二葉山山麓を経由し、JR矢賀駅までの間の神社・仏閣など史跡を結ぶ、延長11kmの歴史・文化の散歩道です。平成14年度(2002年度)には、国土交通省の「夢街道ルネサンスモデル地区」に選定されています。

1939年東練兵場付近空中写真に「事業区域界」のイメージ表現

1939年東練兵場付近空中写真に「事業区域界」のイメージ表現
〔出典:国土地理院 空中写真(1939年陸軍撮影)〕

二葉の里歴史年表
広島城主歴史的建造物その他の動向
           
  1200頃鶴羽根神社の前身
「椎木八幡宮」創設
          
  
  1340国前寺の前身
「暁忍寺」創設
          
  
1589毛利輝元1589広島城鍬初め  
   1590頃明星院建立  
   1591広島城築城  
1600福島正則    
1619浅野長晟 1620 縮景園作庭   
1632浅野光晟 1640 尾長天満宮創設   
   1648 広島東照宮建立   
1672浅野綱晟    
1673浅野綱長    
1708浅野吉長    
1752浅野宗恒    
1763浅野重晟    
1799浅野斉賢   1785頃 広島城下絵図
1831浅野斉粛 1835 饒津神社創建   
1858浅野慶熾    
1858浅野長訓    
1869浅野長勲    
1871 廃藩置県      
     1890 東練兵場建設
     1894 山陽鉄道
神戸-広島間開通
広島駅開設
     1939 第二次世界大戦開戦
     1945 原爆投下 終戦
   1966 二葉山平和塔 1975 山陽新幹線開通
        
     2010 二葉の里まちづくり